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映画評論を全文書き起こししました。

映画評論家の町山さんの『桐島、部活やめるってよ』の解説が素晴らしかったので、全文書き起こしてみた。

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書き起こしてみました

町山:今日は皆さんお待ちかね、『桐島、部活やめるってよ』を紹介します。この映画は2012年に公開されまして。口コミで評判を広げまして最終的には日本アカデミー賞の作品賞、監督賞、編集賞、脚本賞、橋本愛ちゃんも賞をとり、各賞を独占した大傑作です。

この『桐島、部活やめるってよ』ですが、原作が朝井りょうさんが書いた小説で、これは一つの高校で、桐島という名のバレー部のキャプテンで、すごく人気があってですね、なんでもできる学校のヒーロー、高校の中心だった男が突然部活をやめるという情報が入りまして、しかも学校に来ないと、それで生徒たちが中心となる桐島を失ったために起こすパニックを描いています。

小説の方の主人公といえる人は、ひろきくんという男の子で、この子は桐島によく似た、なんでもできる、勉強もできる、スポーツも万能、人気もある、女の子にもモテる、かっこいい。そのひろきくんが、桐島くんが部活をやめてしまった事で、目標とかそういったものを見失ってしまうと。で、この小説はひろきくんの立場で書かれている部分もあれば、いくつかの、複数の高校生の視点からそれぞれの1人称で書かれているんですね。

もう一人は前田くんという子がいまして、前田くんは映画が大好きで、映画部にいて映画を撮っているんですね。青春映画を撮っていると。日本映画の心のあやとかそういうものを描く映画が好きだと言っている前田くんがいて、この子はいわゆるオタク系の子ですね。その彼の視点からも物語が語られると。

その他にも女の子とかいろんな人達の視点からそれぞれ物語が語られていくんですけども、物語というよりは、そのそれぞれの高校生たちの考え方とか、そういったものが描かれて、しかもそれぞれの子達は他の子達の心情がまったくわかっていない。他の子の視点になると初めてその子の気持ちがわかる。別の子がその子の気持ちを考えていたのが非常に勘違いだったということが描かれているのが朝井りょうさんの原作だったんです。これはおそらくルールズオブアトラクションという小説がありまして、それが影響を与えているんだと僕は思っているんですね。

 

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というのはブレット・イーストン・エリスっていう作家が書いた小説なんですけども、それはアート系のカレッジに通う学生たちの誰が好きとか、あの人がほんとは好きとかいう気持ちを、それぞれの視点から1人称で心を描いてるんですよ。

例えばAという子がいて、Bっていう子を好きだ好きだと思っていると、Bっていう子はぜんぜん違うCっていう子が好きでAの気持ちに気づいてないと、ところがCって子はぜんぜん違うDって子が好きでっていう風に、それぞれすれ違っていく、

全く咬み合わない感じで、思っていることも、あの人はこういうことを思っているんだ、こうなことを言ったけどもたぶんこんな気持ちなんだろうっていう風に勝手に推測すると、それがどんどん外れていくという、すごく皮肉な、悲しい、人間っていうのは分かり合えないんだ、勝手に勘違いしてるんだ、本当の気持ちなんて誰もわからないんだっていうことをかなり残酷に描いている小説が、ルールズオブアトラクションという小説です。これは文庫版が今でてるんですけども、僕が解説を書いていますから、ぜひ読んでみてください。すごく面白い小説です。

これは映画になったんですけども、映画版の方は原作の半分ぐらいしか映画にしていないんですけども、そちらの方もですねそれぞれの登場人物の視点で描いて、ひとつの出来事がひとつあると、もう一人の考え方、もう一人のキャラクターから同じ事件を描き直すとかですねそういうことをやっているのがルールズオブアトラクションという小説と映画です。

映画の方もなかなかすごい撮影技法を使っていますので、要するに複数のカメラで同じシーンを撮ったりするんで、とても複雑なんです。そちらの方もぜひご覧になっていただきたいんですが、それがもともとの小説「桐島、部活やめるってよ」なんですね。

 

単なる青春映画ではなく、普遍的な映画

ところがその小説が高校生の心を描いたものなんですが、それを映画化するときにですね監督が吉田大八監督という人でして、この人はですね、僕と同い年ぐらいの1960年台生まれぐらいの人なんですね。で、この高校生っていうのが自分のだいたい子供ぐらいの年代なんで、その高校生の気持ちになることはできないと言う風に彼は考えたらしいんですね。それでもっと違う話にしていってですね、もっと違うっていうのは、普遍的な話にしようとしてるんです。

 

単に高校生の話をビビットに描くということを超えた、もっとサラリーマンであったり、おじいさんであったり、もっと小さい子であったり、外国の人であったり、そういった人のも通じるような普遍性みたいなものを、この作品に映画化の時に与えることはできないだろうか、要するにただの高校生の青春の話じゃない話に出来ないだろうかというふうに吉田監督は考えたんですね。

 

そうじゃないと高校生の気持ちが自分でわからないから映画化なんかできないし、興味もないわけですから、そうしたわけですけども、その際に彼が取った手法っていうのが、ナッシュビル的手法です。

 

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ナッシュビルっていう映画があるんですけど、1970年代はじめに作られた、ロバート・アルトマン監督の映画なんですが、これはナッシュビルというですねアメリカに実際の市がありましてですね、これは南部の方の田舎の市なんですけども、そこはカントリーアンドウエスタンの音楽産業の中心地になっているんですよ。

 

そこに大スターのシンガーとか売れないシンガーとかですね、ブレイクしたいシンガーとかが集まるんですけども、その人間模様を描いてるんですね。いろんな人達の悲しい人間模様とか楽しい話しとかが並行して描かれながら、最終的には一箇所の集中していくという話になっているんですよ。

原作の方は全員が一箇所に集まるっていうようなクライマックスというか大団円はないんですけども、吉田監督はそういう展開に映画化の時にしたんですね。それはナッシュビルの影響、ロバート・アルトマン的な映画手法だと思うんです。っていうのは、このナッシュビルの手法はこの後ポール・トーマス・アンダーソン監督に引き継がれてですね、有名なマグノリアという映画がまさにナッシュビルスタイルの映画だったんですけども、複数の登場人物の物語が並行して描かれながら最後はひとつの大きな破局というかクライマックスに向かって突入していくという展開なんですね。

 

この桐島部活やめるってよも最終的には高校の屋上に向かってですね話が突き進んでいきます。全員がそこに集まっていくという展開になりますね。

 

前田くんを主人公にしたわけ

あとですね吉田大八監督が加えた変更の一つに前田くんという映画部の男の子が好きだった映画っていうのが、原作では青春映画だったりしたわけですけども、映画でははっきりと映画秘宝を読んでいるという嬉しい展開になってます。それでゾンビ映画が大好きだということになっていて、監督自身がみんなに相手にされていないオタク少年っていうのを表現するためには、映画秘宝だろうと思ったとインタビューで言っていて、ふざけんじゃねーよって思いますけど(笑)

でもまあそのとおりだよ!その人のために俺は映画秘宝っていう雑誌を創刊したんだよ!っていうことなんですけども(笑)

 

それで学校のカーストを描くときに、前田くんはカーストの1番下にいるっていうか、外側にいる感じになっているんです。

 

またそれだけじゃなくて監督自身が言ってるのは、ひろきくんっていう原作では主人公的な立場にいるスポーツ万能で勉強もできてっていう子には感情移入できなかったと言っていて、やっぱり前田くんにしか感情移入できないから彼を主人公にせざるを得なかった。

 

しかも彼を主人公にすることで、高校生の恋愛であるとか、いろんなことの内側に入って行かないんですよね。それで非常に閉じた友人関係で、その外側にいるために、その友人関係とか恋愛関係とかを外側から見てるという、映画監督である吉田さん自身の立場にもなっている、そして観客の立場にもなっているわけですね、外側から見てますからね。そういう点で前田くんを主人公にしてるんですね。

 

魂のさまよいを描いた映画

ただ前田くんを主人公にしたのは構造上の問題であって、思想的な主人公っていうのはひろきくんなんですねやっぱり。ひろきくんというのはなんでもできる人ってなっているんですけども、

なんでもできる人が楽しいのかっていうと全然楽しくないんですね。もうすでに桐島が行方不明になる前から自分はこれでいいのだろうか、自分は何をしたらいいのだろうかって悩み始めていると。それで野球部のエースっていうか期待されてた男なのにもかかわらず、野球部を辞めてしまっていると、それでほとんど練習に出ていないと、

 

で、勉強もできるみたいなんですけど、それははっきり描かれないんですけど、たぶんできるんですね。で、女の子からもモテモテで彼女もいると。彼女のほうが積極的でっていう感じなんですけども、でも楽しくないんですね。何をしたらいいかわからないんですね。

 

この映画1番最初でですね、進路、高校を出たらどうするかっていう進路についてちゃんと書いてこいと先生がプリントを配るところから始まるんですけど、これは非常に意味があって、要するに、お前これからどうするんだと、どうやって生きていくんだと、お前一体何になるんだということを問われてしまった時に、ひろきくんはわからなくなっちゃったというところからこの映画が始まるんで、これはひろきくんの物語なんですね。

 

で、実は観客自身にも問いかけているんですね。これはなんのために生きているか、生きていく意味がわからなくなった人の話ですよってことですね。ひろきくんを通してそれを考えてみてくださいっていう話になっています。彼の魂のさまよいを描いた映画なんですね。

 

本当のテーマはセリフには出さない

なんでもできるっていうふうな設定になっているのは、なんでもできる、どんな選択肢もあると、だから逆に選べないってことを設定するためにそういう設定になってますね。

 

この映画が公開された時に、高校生ぐらいの若い子たちが観に行った時に、わからないっていう風に言われたらしいんですね。なぜわからないかというと、セリフに出してはっきりと言ってないからですね。例えばひろきくんが「どういうふうに生きたらいいんだよ」っていうセリフ、普通の映画だったら言っちゃうんですけど、原作でも「俺は空っぽなんだ」みたいなこと言ってるんですけど、そういうの一切切っちゃってるんですよ。そんなこと普通話さないだろうと、高校生は。

 

で、セリフの中で出てくるんですけど、みかちゃんっていうバドミントン部で一生懸命頑張っている子がですね、「マジなこと言ったってしょうがないし」って言うんですね、というのは彼女はふざけてるのではなくて、みんながマジなこと言うと馬鹿にするから、高校生同士っていうのは。だからほんとにみかはまじめにバトミントンが好きなのにそれを熱く訴えると馬鹿にされるから言えないんだということを言うんですけども、

 

これはこの映画の大事なトーンになっています。つまり本当のテーマは言えないんだよと、本当はみんな悩んでいるんだけど、それは口に出して言えないんだよ、ダサいって言われるから。

 

観客は常に推理しなければならない

これはですね、2つ大きなポイントがあって、一つはほとんどのドラマの映画ではダサいっていってみんなが言わないことを言ってますよね。わかりやすくするために観客に対して。言わないよ!こんなこと!ってこと言いますよね。

 

おれはどうして生きて行ったらいいかわからないんだよってね。俺はほんとにこの試合にかけているんだとか、言いますよね、ドラマとかでね。でも言わないでしょ、高校生は。恥ずかしいもんそんなこと言ったら。馬鹿じゃねーかお前、青春ドラマじゃねーのって。青春ドラマなんですけどこれはって言う問題もありますが(笑)、言わないですよね。だからこの映画は言わないようにしてるんですよね。

 

で、原作も別に、空っぽだっていうのも本人の気持ちとして書かれているけども、言葉に出して言ってないんですね。原作はそれぞれの登場人物の心を書いているんですが、この映画では一切心を、要するにモノローグっていうんですが、心の声を出してないんですよ。

 

これはものすごい難しいことをしていますよ。原作は心の声だけで描いているのに、映画では一切心の声を出さないっていうことはすごいことですよね。彼らはみんな表面的な友だちとの会話しかしていないんですけど、それはほんとの気持ちじゃないんですね。観客はそれを見ても、この人はほんとにこう思っているとは断言できないんですよ。これは怖い、難しい映画ですよ。だからわからなかったんですよ。

 

でもこのわからなさ、相手の気持ちがわからない、みんなの気持ちが嘘かもしれない、笑顔をしているけどほんとは泣いているかもしれない、泣いているけども違うかもしれないって現実ですよね。現実の高校であったり、会社であったり、現実の人間関係ってそうですよね。それを映画の中でやっているんですよ。だから観客は常に本当はこの人は何を考えているのかを推理してみなければならないんですよ。桐島が公開された時に、すべてがパズルのように組み合わさるというふうに宣伝されましたけど、そういう構造上の問題ではないんですね。

 

心の問題なんですよ、この映画での最大のミステリーっていうのは。本当の心を誰も言っていないんですよ。ただ別の言い方で言ってます。本当の心をみんなぽそぽそと言っていますが、すごく隠して言ってます。それはあっこれはここなのかと、これが彼の言いたいことなのか

っていうのは見つけなければなりません。隠してあります。昔ゼビウスとか、古いですけども、TVゲームで隠れキャラってありましたよね。ぜんぜん違うところをいきなり撃つとそこからボーナスポイントが出てきたりしましたけどもそういう映画です。隠れているところを撃たないとわからないんですね。

 

同調圧力の恐ろしさ

で先ほど主人公はこの映画では前田くんにしていると言う風に言ったんですけど、前田くんはかすみちゃんっていう中学時代から同じ中学だった子とも話ができなくなっているんですね。つまり彼女はかわいいこチームで、自分はオタクチームだから。

 

でも非常にかすみちゃんのことが気になるんですけど、このかすみちゃんって子はほんとに何を考えているのかがほんとにわからなくこの映画は作ってますね。それは前田くんの立場から見てるからなんですけども、前田くんがみんなに馬鹿にされて、みんなというかはっきり言うと、沙奈といういやな女がいまして、これがひろきの彼女なんですけども、ほんとにいやらしい女なんですけども、これはほんと演技が上手いんで、役者が嫌じゃないのに、その役者が嫌いになるというですね、すごく困ったことをしているんですけども(笑)松岡茉優という女の子がやってますね。

 

この子はすごくうますぎてですね、ほんとムカムカするんですけども、(笑)ほんとに馬鹿にしているわけですよ、オタクとか一生懸命な人とかを。ただ彼女が馬鹿にしているのをみんなはっきりと馬鹿にするなと言えないんですよね。そういうことを言ったらかっこ悪いから、ダサいからとかで、さっき言ったみかちゃんっていう子は、バドミントンを一生懸命やりたいのに、

「部活とかさ-」とか言うわけですね。沙奈っていう子が「部活とかよくやってられるよね-」って言った時に、「そうよね私も内申書のためにやってるから」って心ないことを言っちゃうんですよね。そういう心ないことを言わせるような同調圧力的な世界っていうものの恐ろしさっていうものを描いているわけです。

で、その中でかすみっていう子の、橋本愛が演じていますけど、何考えているかわからないんですよね。沙奈っていうのはばかにするわけですよね、オタクっていう人とかを。馬鹿にした時にこのかすみちゃんだけは笑わないんですよね。他の子達は結構同調してハッハッハッとかって笑ったりするんですけど、かすみちゃんだけは笑わないんですよ。特に前田くんが馬鹿にされている時に笑わないんですよ。これは前田くんには見えないんですけども、観客は笑わないのを見ているから、彼女は前田くんに同情しているんじゃないかと思うんです。でも騙されましたよ、前田くんと一緒に。この女ふざけんじゃねえって思いましたけどね。(笑)

そういうショッキングなシーンもありますけど、またそれをもう一回ひっくり返したりするんですよね。ふざけんなこのアマ-とか思ってね、その後もう一回ひっくり返されるとこも上手いです。

 

ゾンビ映画を通して本当のリアルを描こうとしている

この映画みんながいいたいことを言おうとするとそこで切るというですね、言いたいことを言わせないから観客が考えろっていう形になっていますけど、この前田くんが映画秘宝を大好きで、ゾンビ映画撮ろうとしてシナリオを顧問の先生に見せるとですね、こんなんじゃなくてもっと青春のちゃんとした自分の身の回りのことを描けよ、もっと自分自身のことを描けよと。恋愛とかさー、受験とかさー、友人関係とかさ-とか言うんですよ。そのほうがリアリティあるだろうと、ゾンビのほうがリアリティないだろうと言うんですね。実はこの映画は青春映画であって、受験とか恋愛とかを描いているんですけども、でも前田くんにとっては違うんですよね。

 

前田くんはその時にどういうふうに反論するかと言うと、先生はジョージ・A・ロメロの作品見たことありますかっていうんですね。ところが先生は、そんなマニアックなものみたいな話をして、話がそこで途切れちゃうんですよ。でも何を言おうとしたかってとこなんですよね、前田くんは。

 

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でもそれはこの映画の中では、はっきり言ってないんですけども、ジョージ・A・ロメロ監督っていうのはゾンビとか、ナイト・オブ・ザ・リビングデッドとかラン・オブ・ザ・デッドとかそういった映画をずっと撮ってきたんですけども、彼自身インタビューで言っているんですけども、「俺はゾンビの映画を撮っているけど、ゾンビの映画じゃないんだよこれは。人間についての映画なんだよ」ってはっきりと言ってるんですね。社会についての映画なんだと。ゾンビを通して何を言わんとしているかというと、これは現実なんだと、リアルなんだと、リアリティなんだってはっきり言ってるんですよね。

リアリティを最もリアルに描くにはそのまま描くより、ゾンビなんだって言っているんですよ。これが言いたいんですよ、前田くんは。でもこれはそこまで言っちゃうと、わかりやすくなりすぎちゃうから吉田監督は切っちゃっているんですね。だからインタビューでも、ゾンビ映画にしているのは映画秘宝とか読んで、ゾンビが好きなやつって、いじめられるじゃんっと、カーストの下層だからそれを意味するためにそうしたんだと言っているけれど、そうじゃないんですね実は。ゾンビ映画を通して本当のリアルを描こうとしているんですね。

 

ジョージ・A・ロメロ監督はナイト・オブ・ザ・リビングデッドを描いた時に、彼はベトナム戦争とアメリカ国内で起こった人種暴動とかですねカウンターカルチャーによる反戦運動とそれを弾圧する学生たちというかなりアメリカ自体が血まみれの一種の内戦状態に突入していた状況っていうものを、ゾンビと、それと戦う人間と、さらにそれを撃ち殺す銃を持った集団と、三つ巴の闘いを描いているんですね。

 

しかも若者たちが親の世代に反抗していくということがその時現実に起こっていたんですけども、反戦運動であるとか過激派的な左翼とかですね、爆弾テロとかですね、そういったことが実際に起こっていたんですが、それを少女がお母さんを刺し殺すことで象徴的に描いたりですね、黒人の人達の暴動を警官が武装で射殺して弾圧していくという、その時起こっていた現状っていうものをラストシーンに象徴させているんですね。

 

しかも白人が全く役になたなくて、黒人の指導者がもしかしたらゾンビとの戦いの中で、優秀にこの社会を変革していって、よくしてくれるかもしれないぞと思わせといて、その人を射殺してしまうっていうのは、マーティン・ルーサー・キング牧師が黒人の公民権運動のために戦ったのに、それを殺害してしまったという事件を象徴させていたり、そういう現実に実際に起こったことをそのまんま描くんじゃなくて、ゾンビにすることでより強烈に、しかもより普遍的に、その事件そのものを描くよりも、ゾンビにすることで全世界の人が根本にあるスピリットとか精神とかそういったものを直接感じることができて、しかも何十年たっても古びないっていう方法を選んだんですね。

 

それがゾンビ映画の精神なんですよ。だからゾンビ映画っていうのはすごく嫌な感じがするんですよ。ただゾンビが出て来ました。キャーキャーキャー、バンバンバンっていう映画もいっぱいありますけども、ジョージ・A・ロメロはそうじゃないんですね。もっともっと現実の根底にある差別とかそういったものをゾンビに込めているんですね。それを前田くんは言いたかったのに、言おうとした所で切っちゃうんですね。そこがすごいですね吉田監督の。

 

前田くんの心の中

しかもそこですごくよかったのは、顧問の先生がジョージ・ロメロとかマニアックなこと言うなよっていうんですけども、ジョージ・ロメロはマニアックではないです。はっきり言って映画秘宝とか読んでいる人にとってはジョージ・ロメロは入り口中の入り口です。ブルース・リーにとっての燃えろドラゴンと一緒です。ブルース・リーにとっては死亡の塔の事を言ったらマニアックです、でも燃えろドラゴンについてはマニアックではないんですよ。その辺も上手いんですよ。この先生わかってない感じっていうのがよく出てるんです。

 

あと日曜日にですね前田くんが映画に行って、そこで観ている映画が鉄男っていう映画なんですね。そこでかすみと出会うんですけども、観てる鉄男っていう映画は、塚本晋也監督の映画で、どういうシーンかっていうとペニスがドリルになってそれで女の子の股間を貫通して殺すっていうシーンが出てきてるんですね。これはもうすごくわかりやすいですね。これはものすごい性的コンプレックスと攻撃性ですよね。

 

それが前田くんの中にあるんですよね。もちろんこれは伏線になっていますね。単に鉄男を観ているっていうわけではないんですね、これは。前田くんの心のなかを覗いているんですよ。それをかすみちゃんも覗いてくれたんですね。っていうシーンなんですねこれは。

 

なぜ前田くんっていう非常におとなしい、オタクの少年がスプラッター映画ばっかり、映画秘宝的な映画ばっかり、残酷な映画ばっかり観ているのかっていうのも、ちゃんと意味がありますよね。そう考えると。もちろんそれは伏線で最後のクライマックスに突入していく時にわかるわけですけども、全部意味がありますね。意味が無い人間なんていないですよ。

 

実存とのぶつかり

ところがここで大事なのはひろきくんが意味を見失ってしまったんですね。何のために部活やっているんだ、何のために野球やっているんだ、野球選手なるわけじゃないじゃん、野球で大学行くわけじゃないじゃん、もっと突き詰めると何で大学行くの?、何で会社入るの?、何で社会で働くの?何でお金もうけなきゃいけないの?、何で子供作らなきゃいけないの?、何で結婚しなきゃいけないの?、何でそんな恋愛したいの?、俺恋愛してるけど全然楽しくないよ、なんのために生きてるの?全然楽しくねえよ!ってことですね。ひろきくんがぶつかっている問題っていうのは。

 

で、この中で友弘っていう男の子が出てきますね。友弘くんは「セックスしてーなー」って言って、セックスっていうものはすごくいいものなんだって思っているんですね、彼は。その先に何かあると思っているんですね。このひろきくんはたぶんしたんですねこのいやーな女と。いやーな女ってことはないけど沙奈ちゃんと。そんなに楽しくなかったんですね。いやーほんとは楽しいんですけどね。(笑)楽しみ方を知らないのかもしれないですけど。楽しくなかったんですね、彼。たぶんこの女の子がやな子で、気ばっかり使ったからだと思うんですけど、まあとにかく楽しくなかったんでしょうね。友弘くんは童貞ですからセックスに何かあると思ってすごく憧れているんですけど、ひろきくんはセックスにも、恋愛にも何も見いだせなかったんですよ。

 

で、勉強できるから受験っていうのに集中することも出来ないんですよね、逆に。どこでも入れるんですよね、たぶん彼は。みんなコンプレックスあるじゃないですか。かっこわるいとか、背が低いとか、彼にはそれもないんですね。超えるんべきものもないんですよね、完璧だから。その時ぶつかったのは、その先に何もない世界なんですよ、彼は。

これって何を意味しているんでしょうか。こんな完ぺきな人いないですよね。

 

彼と同じような悩み持っている人他にいないですからね。でも逆に彼はすべての人を意味しているんですね。すべての若者じゃなく、すべての人ですよ。誰でも必ず何のために生きているか、何のために生活しているのか、例えば車を買いたいと思っている人がいるかもしれないですけど、その車を買うっていうのに何の意味があるのか。おしゃれすることに何の意味があるのか。ふと気付いてしまったら、何の意味のないことに気づくんですよ。

 

だって人間どうせ死んじゃうんですよ、何をしたって。何の意味があるんだっていう根本的な問題にぶつかったんですよ、ひろきくんは。これを実存と言うんですね。実存主義っていうのは何の意味があるんだって、ほんとに悩みだしたら意味なんてないんじゃないのってことが実存主義っていう哲学ですね。彼は、ただの高校生であるにもかかわらず、実存主義って言葉をしらないにもかかわらず、実存主義にぶつかったんです。

 

そんなことを考えながらこの映画を観てもらうと、いろんな言葉が生きてきますね。だからただの青春映画と思わないでほしいです。そういう風には監督は作ってませんから。

ではいったい何なのかってことは、このあと復習編でお話したいと思います。